2012年10月18日木曜日

大阪、京都旅 後書き。

念願の大阪 京都旅.

帰郷してから気がついた

心残りな場所を
記録として残しておこうと思います。

凄く観たかったけれど
泣く泣く
時間的に断念した場所。

大阪城 http://www.osakacastle.net/
本能寺 http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&Manag
新島襄 八重さん旧宅 http://www.doshisha.ac.jp/academics/institute/archives/kyutei.html
寺田屋 http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&Manag
魚三楼 http://www.uosaburo.com/



《 大 阪 》


無意識に凄いなあと

写真に収めて来た場所が
帰ってきてから
貰ってきたパンフレットを
ゆっくり見てみると
凄く意味のある場所である事に
気がつき愕然としております。




趣のある幼稚園に惑わされ
違う方向に行った私達の前に

緒方ビル.

緒方洪庵さんに何か
関係があるのかな
と呑気にぱしゃり。

緒方ビルの文字の
隣りの一寸小さな文字を
目に入れろ自分  !



財団法人 洪庵記念館。(汗)


足を踏み入れて
しかと観て来るべきでありました。
適塾で戴いて来た
大阪大学 Nakanoshima MAPに記載。

除痘館記念資料室(緒方ビル)
緒方洪庵の子孫の方が経営する
クリニックセンターの4階に
「 除痘館記念資料室 」
が解説されています。 
適塾と併せて見学したい施設です。 と。

とほほであります。
同じく趣きのある幼稚園も
載ってあります。

大阪市立愛珠幼稚園
( 国重要文化財 )
 
1880年明治13年我が国で3番目の幼稚園として開園。
民間立としては日本最古。
鴻池善右衛門持ち家を修理を経て
明治34年に現在地に
新築移転。
江戸時代銅座があった場所。
日本最古の木造園舎は
今も使用されています。

年2回一般公開日を設けています。



《 京 都 》

旧前川邸

玄関先で無人販売の
有難い前川邸見取り図によれば
此の写真の左手の方向にある
作業場になっておられる場所の
奥の二階の辺りがおそらく

池田屋事件の発端となる
古高俊太郎への拷問が
行われた西の蔵。

其の日は家人の方が
静かに作業されて
居られたようであります。

明里さんと山南さんの
格子越しの別れの
場所も書いてありました。

此れから行かれる方は
地図を手に入れて
是非私達の分も
其の場所を観て
想いを馳せて来て下さいませ。

見逃しました私達は
又、 何時か !(涙)

島原の大門

輪違い屋

角 屋

新撰組が付けたという
刀傷も残っているという
当時其のままの
揚屋さん。

きっと、浅田次郎さんの「輪違い屋 糸里」
を読み終えてから行くと
いっそう想いが....。

読み終えてから 又、何時か !

定休日で観れなかった
海援隊本部 酢 屋 

霊山資料館

護国神社でお土産のおまけで貰った
霊山歴史館学芸員の方監修の地図。

「龍馬と歩く京のまち」
この地図は詳しく詳しく
え?こんな場所も?
えええ そんな場所も??

網羅された幕末好きには
有難い地図です。

護国神社を出て
霊山資料館のお隣
趣のある古い建物は
何だろう と
思いながら帰って来ましたが
此処は

「 翠紅館 」
文久三年(1863)
「八月十八日の政変」
前夜、土佐、長州の志士達が
倒幕の密議をしばしば行った場所。
武市さんと桂さんと....あの人もあの人も !
現在「 京大和 」
という料亭さんになってます。


「 舌切茶屋 」

「 忠僕茶屋 」

「 古高俊太郎邸跡碑 」
http://www.javara.net/kyoto/content/view/68/32/

「 本間精一郎遭難之地跡碑 」
http://kyotokankou.web.fc2.com/002032honmasounanhi.html

「 岡田以蔵刀痕 」
http://www.javara.net/kyoto/content/view/71/32/
此れです。
此処が最大の後悔の場所です。
まさかそんな場所が残っているなんて
と、山形に帰ってから地図にある印しを見てワナワナ。
次回又何時か京に行けた時には
必ず行って来たいと心に決めました。

「 中岡慎太郎寓居跡地碑 」
菊屋古書店(峯吉くんのお家)に
下宿していた中岡さん。なので
峯吉くんのお家跡。
油とり紙屋さんになっているもよう。
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na012.html


「 吉村寅太郎寓居之跡碑 」
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na078.html

「 武市瑞山先生寓居之跡碑 」
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na081.html
武市さんの寓居 四国屋 丹虎と
吉村さんの寓居は本当にすぐ隣り。

「 佐久間象山寓居之跡碑 」
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na074.html

「 佐久間象山、大村益次郎
            遭難之地碑 」
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=10&ManageCode=172
それぞれ個別の碑も解りずらい見逃して
しまいそうな場所にあるようです。


「 幾  松 」
http://www.ikumatsu.com/


「 長州藩邸跡、桂小五郎像 」
http://kyotohotelsearch.com/blog/2011/08/15/choshuhanteato/




ずらっと並べましたが
まだまだ !!

京都御所周辺
伏見周辺

此れ
絶対観に行きたいよ
という場所がてんこ盛りであります。


参考にしていたお土産の地図の
サイトをみつけました。
此れから京都へ行かれる方へ。


「 龍馬と歩く京のまち 」
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/ryoma/


旅記を書くにあたって
あちこちネットサーフィンしていましたら
ファンの方々にはもう
周知の事なのでしょう


新撰組の井上源三郎さんの
首が埋められた場所が
発見された涙が出そうな経緯の
ページを読みました。

遅ればせに知りましたが
心から
源さんと
源さんの首を
泣く泣く置いて行かなければ
ならなかった甥っ子さんの
ご冥福を
お祈り致します。


大阪
京都

きっと きっと
又、何時か !!!!!



長々と
拙い文で
書いてしまった旅日記

最後まで読んで下さった方が
もし、いらっしゃいましたら
申し訳ないやら
うれしいやら(汗)


有難う御座います !!!!!

感謝 !!!!!


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2012年10月15日月曜日

京都記 先斗町、四条、三条、木屋町界隈


宿で一息入れてから
京都の夜の街へ飛び出しました。

先斗町の前でタクシーを降りますと
平日の夜でも沢山の人で賑わい。

外国人観光客さんが
先斗町の入り口で記念撮影しておりました。
沢山外国人の方が居られます。





写真は人の居ない所を撮影したので
実際には呼び込みの人、観光客
沢山の人が居られます。



先斗町の入り口の道路を挟んで向かい側 !

目的の場所を自分よりも早く姉が見つけました。
「あの建物は何?」








「 東華菜館 」鴨川沿いに建つ北京料理のお店。
1926年、大正15年
ウィリアム.メレル.ヴォーリズ設計で
バロック様式。有形文化財。
最初は西洋料理店だったそうです。

旅前に京都を検索していて
古い建物が沢山残る京都で
大正の香りが漂うこのお店を
是非此の目で見てみたかったのです。

日本最古の手動式の
エレベーターが健在との事。
是非乗ってみたかったのですが。
お店には入らず外から雰囲気を
味あわせて戴きました。

そしてもう一つの
大正建築が鴨川の橋を挟んで向こう側に

菊水レストランです。




アールデコ.スパニッシュ様式で
大正15年竣工。
日本人が設計だそうです。

この他にも沢山気になる
レトロで素敵な建物があちこちに
沢山存在している京都。

回りきれませんでした。

1928ビル(旧、大阪毎日新聞社京都支局ビル)
とか観に行きたかったけれど
時間的、体力的に断念。

でも、念願のレトロ建築を目にして
心うきうきわくわくな夜でした。

鴨川の四条大橋、三条大橋の夜は
アーティスティック。




鴨川の風に吹かれて
粋に三味線を奏でる若者に
コインを投げ拍手 !

此の他にも
音楽を演奏する
アートな人々が
沢山点在。

嗚呼  !
京都  !!!!

素敵な京都 !!
らぶみー京都 !

此の時点で二人共
お酒も飲んでいないのに
京都の街に酔っています。

そして街に酔いつつ歩き周ります。

河原町交差点
鴨川ホルモーの
四条烏丸交差点このもっと先かあ??と
思いながら辺りをぐるぐる。

どこら辺りが
峯吉くんのお家だったのかなあと
都会な通りを歩いてゆきます。

再び近江屋を通り越して
上ってゆき
飲食店街の適当な路地を
木屋町へ向かうために
曲がりますと


「 ああ!龍馬さんだよ。」
とこれまた先に姉が見つけてくれました。
この旅で姉は敏感に色んな物を
見つけてくれました。
感謝 ! 感謝 !!


ライトアップされた
土佐稲荷です。





夜の京都でほろ酔いになった
お兄さんやおじ様方が
真っ赤なお顔をしながら
坂本龍馬の像に誘われて
土佐稲荷をお参りして居られます。

毎晩こんな光景なのかなあ?

龍馬さん達も負けずに
一献傾けて
楽しくあの世で
やっておられたり....
と思ったり。 (笑)


幕末、土佐藩邸内にあった
土佐稲荷
土佐藩邸売却時に一旦大阪に
それをあの! あの近江屋のご主人井口さんが
土佐藩用人邸を買取此処に移設。
熱き想いが ..... !!!!!


うるうるしながら
偶然の土佐稲荷に
お参りをして
木屋町方面に向かいますと

これまた姉が気づきます。

趣の或る
古い校舎 !

惜しくも廃校になってしまった
立誠小学校。





旧土佐藩邸跡です。
立誠小学校。
旅前、
京都の番組をチェックしていたら
TVで出てきました。

昭和三年建築。
涼やかな高瀬川沿いに佇む
他の小学校には無い
大きな畳敷きのお部屋があったり
窓や廊下、レトロなデザインが
魅力的な小学校です。

古いものを大切にする京都。
此の小学校も
末永く大切に保存されますように。
と切に思いました。

素敵です。

其の前に
土佐藩邸が残っていたら
最高でしたが。^ ^


そおして高瀬川を渡った私達は
この旅のもう一つの大きな目的

京都龍馬会理事さんの
酒場龍馬さんを目指して
木屋町の繁華街を
四条方面に南下 ..... (汗)

毎日。
龍馬さんから頂戴した
幕末木屋町地図を見ていたので
なんとなくこっちと
間違った方向に行ってしまいました。

これ
地図!直に持って来れば
間違いをおかさなかったです。

そおして
見るべき場所を見逃したり
しなかったです。

旅の準備は
最後まで気を抜いては
いけないのでした。

呼び込みさんが一杯居る
歓楽街を
都会館 都会館~~~~と
探し求め
呼び込みのおじさんに
尋ねたりして

おそらく
その
尋ねた場所の近所に
見逃してはならない
この旅最大の後悔が
あったので御座います。嗚呼。

その事は
旅後書きに
纏めて書いてみようと
思います。

探しながらもう一度
先斗町に入って
三条の際まで上ってゆきました。

先斗町。
何回通っても
町家造りのお店達が
提灯に彩られ魅力的な通り。
赤い可愛い千鳥の
紋が入っている
提灯が沢山ありました。

CMになるのも
納得です。

何時か此処の通りの
何処かのお店で
川床デビューしてみたいです。



木屋町通りに戻って
今度は酒場龍馬さんを
見逃さないぞと
気をつけて南下。

そおすると
目の前に
黒い着物と袴姿
丁髷の方の後ろ姿が。
何方かをお見送りに
通りに出て居られたようで
すかさず

「 龍馬さん !!!! 」
とお声を掛けさせて
頂きました。

もう、ずうっと何年も
一面識も無いまま
京都龍馬会の
龍馬さんとおりょうさんには
とっても、とっても!お世話になっております。
近時新聞や色々な物を
送ってくださったり
何時か必ず直にお会いして
御礼申し上げなければと
ずっとずっと思いつつ
幾年月。

京都に行けるのは
いったい何時になるのか
果たして生きているうち行けるのか

と、夢幻かと思っていました京都旅行。

遂に、遂に、
お会い出来ました !!!

龍馬さんにお店の中へ
姉と共に案内して戴き
緊張しながらカウンターへ。

ブログやTVの歴史番組で
龍馬さんとお二人で出演されていて
お見かけしたとおりの
おりょうさんにも
遂に   !!!!

とっても温かくお迎え下さり
握手して下さったおりょうさんの
手の温もりはとっても優しかったです。
感激と緊張の中
飲み物をと云う事で
せっかく龍馬さんに来たのですからと
普段全く飲まない二人ですが
思い切って。

「竜馬麦焼酎 ロックで! 」

とお願いしました。A ^ ^ ;

おりょうさんが作って下さり出して下さいました。
「大丈夫??」
と心配して戴きながら
ごくり !

美味しくて飲みやすいです。
ロックでもイケマス。

「大丈夫です。
 美味しいです!
 キライジャナイデス。
 ( 好きです !)」

え; 自分....イケルクチ
ダッタノカナ と(汗)

龍馬さんで此の日
竜馬麦ロックを
二杯ご馳走になりました。

美味しかったです。
が、 後から
かなり ぐるぐる
酔いが回りました。
回りながら其の後
木屋町界隈を歩きました。

お酒とはこういう物なんですねと
居酒屋で長年働いているにも関わらず
此の時になって実感しました。

酒場龍馬さんには
山形ではとってもお会い出来る機会が
無いような凄い方々がお越しになられます。
坂本龍馬と幕末を
長く、深く !研究なされておられる
御本も出しておられる著名な先生方が沢山 !!!!
そりゃあ其の筈です。
京都龍馬会さん
なんですから。

それはおりょうさんのブログで
時々拝見させて戴いておりました。

其の日も
びっくりする様な凄い方々の
常連さんが御出でになられていて
右も左も分からない二人でしたが(汗)
龍馬さんがご紹介下さり
一寸だけ混ぜて戴きました。

長い長い歴史と文化と
人とプラスアルファーの何かが集まる古都京都。

どんな場所があっても
どんな方が居られても
不思議ではない
京都 !

近時新聞に論文を
発表なさるとってもユニークな
けれど難しいお話を楽しくなさる竹本先生

竹本先生は
前世と云う物があるなら
きっと
幕末や明治に
京都に居られ
名だたる志士達や
はたまた同志社を創り
天皇様の不在になった
京都を大改革した
会津のジャンヌダルクの
盲目の兄上達と
あの時代に
迸る情熱を放出
されて居られた方なのでは...!
と勝手に想像させて頂いておるのですが
其れ程
魅力的な個性的な先生です。

旅から帰ってちらっと
「 京都太秦物語 」の
最初だけ観たのですが
其処に
大きくずっしりと重い
かなり難しそうな本を
読まれるタケモト先生が
お名前だけ出演されているのですが
自分と姉は
あの!竹本先生 ?!
と二人とも思ってしまいました。
映画に出ても可笑しくない
魅力的な先生です。

でもそれは、違う大学のお話なので
違うのかもしれません。

そして、
お仲間の皆さん
藤原達也君のようなfacebookの先生
とっても可愛い歴史タレントの織田さん

(そんな方々と龍馬さんでは
 出合えてしまうのです。
 なんという場所なのでしょう。汗 汗 汗 )
その方々の居られる
酒場龍馬さんで
恐れを知らず

と云うか

恐れをかなぐり捨てて !!(正しく滝汗)

此処で此の時
質問をせずに
何時するのだ ???


思い切った
質問を致してしまいました。 T‐T

申し訳御座いません。
かなり無礼を働きました。(泣)

お聞きしたのは

坂本龍馬暗殺の
黒幕は誰 ???
と云う事と
中岡さん犯人説は
どう思われますか。

の二つです。

京都に行く前に
かなり以前から
時々
お客様に
どう思う?
と聞かれる事が沢山あり

はたまた
中岡さんが
龍馬さんを殺した犯人である事を
TV番組を見た方が
少しも疑いもせず
固くそう信じておられたり

自分は
絶対
中岡さんは
そんな事をする人ではない !!!
とTV番組に憤りを感じる程
思っておりましたが

自分には
その答えを
正しくズバリと
出すことは
叶いませんでした。

でも その答えは
すでに
近時新聞に
竹本先生がお書きに
なっておられたので
ありました。

竹本先生 !!
難しくて新聞を
読めておりませんでした。

申し訳御座いませんっっっ !!!!!!!!!!!

深い深い穴を掘って掘って
堀まくりたいです。

が、

龍馬さん
優しく
その答えを
教えて下さりました。

此処が
此の旅
最大の
眼福ならぬ
耳福なのであります。


 実行犯は
見廻り組  !

只 それだけ。

それが
答えでありました。

黒幕は
幕府
だったり
薩摩藩の
大久保さんだったり
( 自分もお聞きするまで
  ドラマや本で大久保さんが怪しいと
  思っていたりしました。 
  大久保さんごめんなさい。)
長州藩の誰かだったり

そんな事は
ありませんでした。
そんな事柄の証拠となる
歴史的資料が
全く
出て来ない。


西郷さんや
大久保さんは
その近辺
危ないから帰って来いと
云われて
薩摩へ帰っているので
暗殺命令を
出しようがないのだそうです。


そして

中岡さん犯人説 !

龍馬さんは優しく教えて下さいました。

そんな
意味の無い
事はしない。

と。


うおおおおおおーーーーーーっっっ !!!!!!!
そのお言葉を
お聞き出来
嬉しくて震えました。(泣)

京都から帰って来てから
にこっと微笑む
中岡さんのお写真を
見るにつけ

ヨカッタ。
と、一人で悦にいる
自分でありました。

それから
青森から京都に
定年後二年
移り住んだ方が居たのよと
お話をお聞きし
凄く羨ましくなりました。

一日だけじゃなく
ゆっくり何回も
観たい場所を回れる。

京都はきっと
何回行っても
見足りない
歴史と名所の宝庫。

本当に羨ましいです。


竜馬ロックを
二杯ご馳走になり
夜も更け
京都最後に
一之舟入りと
幾松さんを観に行かねばと

優しい龍馬さんとおりょうさん
見知らぬ者を暖かく
お仲間に加えて下さった皆さんに
御暇をして
耳福の酒場龍馬さんを後に。

おりょうさんが
お店の玄関からお顔を出して下さり
可愛らしく手を振って見送って下さり

龍馬さんは通りまで出て
私達が幾松さんを目指して木屋町通りを北へ登ってゆくのを
見えなくなるまでずううっと !!
手を振って見送って下さいました。

遠くで大きくずっと手を振って下さるシルエット
龍馬さんの温かさに私達は
涙が出ました。

有難う御座います !

龍馬さん。
おりょうさん。
酒場龍馬さんの皆さん。









おりょうさんの楽しいBLOG
http://kyoto-ryoma.cocolog-nifty.com/blog/

京都へ行ったら
木屋町都会館
酒場龍馬さんへ
是非 !


酒場龍馬さんは
おりょうさんの独身時代の
寓居跡にもあたるのでした。
石碑が在るのに
緊張弾丸とらべらー;
写真に収め損ねてまいりましたっっっ(泣)
又、今度お訪ね出来た時に。


そおして夜も更けた木屋町を北上。


昼間に寄ったみよしやさん
夜更けでも賑わって
頑張っておられるのを
何だか嬉しくちらちらと
横目に見ながら
又きっと来ます!
と夜の光に美しい高瀬川沿いを歩きます。

三条通りを渡って
兎に角
一之舟入りを目指して。

麦焼酎が効いております。
夜の暗闇も効いております。

..........  ;  ........... ;  汗


かなり観なければ 
と思っていた処を
すっ飛ばしました。


かろうじて
暗闇の中に
一之舟入りの建て看板が






暗闇の中
目的の幾松さんが何処に在るのか
武市さんの住んでいた場所は何処なのか
吉村さんは
象山さんは
山縣さんは
大村益次郎さんは 嗚呼 嗚呼嗚呼 ...... !!!!!!!!!!

総て飛んでゆきました。
泣くしかありません。


観たい名所は
シラフで
ゆっくり
日の当たる日中に。

此れが鉄則でありますね。(泣)

一之舟入りの近くで
素敵な概観のお店を見つけ
写真を撮りました。
帰ってから調べると
是非ともゆっくり
拝見したい
年代物の
本当に素敵なお店が
幾つも
在ったんです。

一之舟入りより先に
幾松さんを求めてさ迷った
私達の前に

薩摩藩島津家の紋章の御門が !





酔っているので
建て看板をきちんと
読む事が出来ませんでした。

やはり観るべき場所は
シラフで。


木屋町通りは映画人に
深い関わりのある場所が
沢山あるようで
島津家の研究所で
映画発展に貢献した
開発がどうとか後日読みました。

資料館になっているようです。

もっと もっと
詳しく勉強してから
もう一度木屋町を
京都を  !!!

もっと知りたくなる
深い 深い 古都。


島津家の御紋
何だろう
何だろう
と、ぐるぐる思いながら

京都の最後に
此処だけは !
押さえておかないと
とずっと心に決めていた
場所。

三条大橋。

新撰組が江戸から
京に入った橋。

近藤さんの首が
晒されてしまった橋。

そして
池田屋事件で
斬り合った
刀傷が残っている橋 !!!!









橋の南側の二つ目の宝珠に。

朝、壬生の八木邸で
刀傷に
これか、これか、と皆が触って
鋭角が鈍角にと
お話されたばかり

ですが(汗)
ちょ 一寸だけ
刀傷に
タッチ

してきてしまいました。
ごめんなさい。

皆が触って
手の油で
刀傷の周りが色濃く
なって居られるようです。

あの事件の
当時の傷が
現代の此の時まで
残っている京都。


素敵な京都。

そんな京都の一日に
酔いしれながら
菊屋峰吉君のお家の
近辺で遅い御飯を戴き
京都の夜の最後と
なりました。

次の日は
朝一で飛行機で山形へ。

夢心地のまま
日常のお仕事へと
邁進致し候。


ぼろぼろ抜け落ちた
後悔ぎっしりの
大阪、京都旅
後書きへと続く。

.
.
.
.
.
.


2012年10月4日木曜日

京都記 「龍馬さんのお墓参り~二年坂、明保野亭、清水坂」


旅行記
体調崩しまして間開きました。(汗)
皆さん暑さ寒さの激しさ
御身体どうかお大事に。

しかし今だ
京都大阪熱
全く覚めやらず燃えております。

龍馬さん、中岡さん、藤吉くんの
お墓参りに行くぞおおおおおー!! と
幾日も前から意気込んで
お参り用のお線香と蝋燭と
チャッカマンとライター
リュックに詰め込んだら
空港でアウトでした。

ライターはお一人様一つまで
機内に持ち込めます。
とご注意を頂き
チャッカマン没収と相成りました。
知りませんでした。(涙 涙 涙。)

テロ対策には必要ですよね。


さてさて
三条通りでタクシーを捕まえ
「龍馬さんのお墓の処まで。」と。

今度の運転手さんは寡黙な方。
四条大橋を渡って
南座を見、お参りしたかったけど断念した八坂神社に
又ねーーーーー(涙)とさよならしながら
ねねの道、維新の道の坂を
霊山護国神社まで上りました。

前の運転手さんが
地図に記しを付けながら言っていた
銅閣寺がどこやら
判らないまま

これ、三条からタクシーで来なかったら
日が暮れていたよねと
話していました。

高台寺の直ぐお隣は
霊山歴史館。
月曜日なので定休日。
又、又、何時か!きっと。と
気持ちを吹っ切って
いざ !

龍馬さん達の眠るお墓に。

テレビや写真で何回も観た其の場所に。
ずっと来たかった其の場所に。
いざ、行かん!

今回の旅の教訓。

ライターは一個まで。
靴は歩きなれた新しい靴ではなく !

靴擦れがおきました。(汗)

お墓のある場所はお山に
なっております。






右が中岡さん
左が龍馬さん
左奥が藤吉くん
が眠っているお墓。


やっと、ファンとして墓前に
手を合わせ熱烈なファンです。
と、ご報告する事が出来ました。

数多くの人達がお参りに来ている場所。
その日も平日の夕刻近くにもかかわらず
若い女の子や男の子
数人のお参りの方々を
お見受け致しました。

お線香をあげて
目の前に居られる
龍馬さん達に
ご挨拶。

念願が叶いました。



この上の上の方に
桂さんと幾松さんのお墓が....お墓が...
又いつか ! ....
と夕暮れの山の上の方に手を上げて
又何時か !! と声をあげたら

「又、何時かって、
 いつ来るんだ ??」
と姉が言ってくれたので
「そうだよね っ」
と気持ちを震わせて
山を登ってゆきました。


幕末、明治の
美男美女の眠るお墓は
お洒落な鉄のデザイン塀に
囲まれてありました。


鴨川の橋の下に変装して隠れている
桂さんに幾松さんが差し入れを持ってゆく。

嗚呼そんな場面を頭に描き
夕暮れの墓前で
大好きです !と
お二人に手を合わせ。
モボ モガの
お二人の前に
来られた事を感謝しつつ
幕末の皆さんの眠るお山を
下ってゆきました。


お山の入り口を出ると
護国神社の売店があり
そこから記念に
龍馬さんと中岡さんの
家紋を一枚づつ買いました。
今、お店に飾っております。
その、お土産の袋に
店番の少年がオマケで
霊山資料館製作の京都幕末地図案内を
入れてくれました。

それを
体力が下り坂になってきた自分...

其の場所で
目を皿のようにして 見よ !!!

という神のお告げに
気がつけないという
壬生の前川邸での失敗を
またもや、やってしまいました。

沢山 !
沢山 !!!!!

悔いが残る事に
相成りました。(号泣)

詳しくはた旅記 後書き
に書いてみようと思います。

: ; ....

又、何時か  !!!!!!!
なのであります。

そんな事に気がつかず
護国神社を出て
目の前の
霊山資料館を
目に焼きつけ


霊山資料館お隣の趣ある建物は何???
( だから 目を皿にせよ .....涙  )
と思いつつ二年坂へ。


清水寺へ続く二年坂、三年坂は
京都ならではの可愛いお店屋さんが沢山並ぶ
観光名所。
外国の方も沢山居られました。





此処は黙って幕末ツアーに付き合ってくれた姉孝行に
少しはなったかなあと
THE京都 !
を満喫。

しかし!

この先に実はもう一つ
目的の場所が。



明保野亭です。
幕末に龍馬さんが
密会に使ったとかなんとか。

当時の物がお店の中に...と
書いてあったので
是非此処でお昼御飯をと
考えておりましたが
旅前の予定はてんこ盛り。
とても総てがその通りには
行きませんでした。

お昼御飯どころか夕方
お店は閉まっておりました。

幕末の志士達の
息遣いは感じられるのか
感じられないのか
時を越えたら
直ぐ其処に
サムライ達が

嗚呼嗚呼嗚呼
明保野亭  !!

と大きく深呼吸して
その場の空気を
思い切り吸い込みました。

夕暮れ
清水坂のお土産屋さんの
可愛い売り子さんが
か細い腕で
お店の雨戸?
木の戸を
よっこらしょと持ち上げて
玄関や窓ガラスにはめ込んでゆきます。

ええええ;
江戸時代から此処は
そうして店仕舞いしてきたのかな?
と、普段みた事もない
店仕舞いが見れて感動。

お店が仕舞う時刻。
清水寺へのお参りは
よしにして
二年、三年坂とは違う
清水坂へ下って行きました。


京都の小道はお洒落なこだわりが
そこかしこに感じられて
見ているだけで幸せに。


舞妓さんには出会えませんでしたが
浴衣姿の可愛いカップルさんには
沢山出会えました。

着物をレンタルで着せてくれるお店が
途中にありました。
流石 京都。



TVで何時も観る京都の
あの 塔です。
人力車のお兄さんが
乗せたお客さんに
あの塔は
釘を一本も使っていないと
説明をしておりました。


そして、それから
夕暮れの清水坂の途中で
京都の異界に出会いました。






撮影は蛙さんのお口の中に
御代を入れて。と。

此の異界の鬼や者達は
此の坂の維持に
静かにお役目を
果たしているのでした。

ううーーーーん。
アートと歴史と不思議の京都 !!

うっとり
します。


坂を下り降りて
足の限界に達した私達は
一旦 宿へ。

一息入れて

夜はいよいよ
京都のラスト。

先斗町
四条
三条
木屋町界隈。
京都龍馬会理事さんの
酒場龍馬さんへ !


続きます。



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